カレンダー(月別)

02 ≪│2007/03│≫ 04
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

プロフィール

machi

Author:machi
そのまんまの君を受け入れて
いっしょに歩いてゆこうね。
時には立ち止まり
時にはいっしょに涙して
でも、また笑って歩き出す…

春にはめでたく大学生となる長男hikariと母の
主に中学2年生までの成長記録です。
育児は育自。
いつもいっしょ
そしてこれからもずっといっしょ♪


●hikari

高校3年生になりました。
この春から希望の大学に進路が決まっており、今は残り少ない高校生活を楽しんでいます。

4歳のときに高機能自閉症と診断を受けましたが、今ではアスペルガーと診断名も変わりました。
小学校入学時は特殊学級でスタート、
3年生からは普通学級に在籍しています。

何事にもまじめに取り組めることは彼のいちばんの長所です
表現は不器用ですが、心優しく、純粋なhikari。
いつも、がんばって、います。

●machi

hikariの母。
今年、結婚21年目を迎えました。
自営業を手伝ってます。
おっちょこちょいでお調子者。
熱しやすく冷めやすい。
頼りがいがあるようで実は小心者。
子どもたちの成長はうれしいけれど、だんだんと離れていくことを実感して少しさみしいです。
子どものため、家族のため、今年もがんばります!

●papa

machiの大切な大切なヒト。
まじめさはhikariに遺伝?家族思いの満点papaです。
とにかく健康にだけは気をつけてね。
お仕事、毎日ご苦労さま♪

●長女

花の女子高生。
彼女の前向きで楽天的な気質は尊敬に値します。
相変わらずのバスケ中心生活。
どうかケガだけは気を付けてね。

●次女

ただ今10歳。
とにかくかわいい♪
そしていつも優しい。
我が家にとって癒しの存在です。

最新の記事

最新のコメント

カテゴリー

最近のトラックバック

ブログ内検索

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



--------(--) --:--| スポンサー広告| トラックバック(-)| コメント(-)

みんなと一緒のことをしてほしい

保育園・年長組のころの生育暦に戻ります。

なかなか"みんなと一緒のこと"をするのに楽しさを感じられないhikariだったので、自分の尺度に合わない、おもしろいと感じないものには参加できにくい面がありました。
そんなhikariの思いとは裏腹に親としては、みんなと一緒のことをしてほしい…
発表会、運動会…みんなの中で同じ活動をしている姿が見たい、と思ってしまいます。

他の保護者の視線を気にするからではなく(いえ…もしも一緒のことができないでいたら、気にしていたかもしれません)
これから先、集団生活を送ってゆく中では、"みんなと一緒に"を避けて通ることはできないのです。
いやでも、苦痛でも、"みんなと一緒に"…
かわいそうだ、という人もいるかもしれませんが、私は、彼なりの納得する受け入れ方法さえ獲得すれば、きっと"みんなと一緒に"活動ができるようになり、できることで褒められ、
その経験を重ねてゆけば、成長と共に心から"みんなと一緒に"楽しむことができるようになるのではないか、と思ったのです。

だから、医療機関での発達検査でわかる得意、不得意なこと、発達相談でアドバイスいただくことなどを踏まえながら、
『難しいことをがんばる。いやなことを我慢する』ことに挑戦していきました。

じゃ、どんな方法で仕向けてゆくのか…

1.興味を持たせる。
2.日によって気分にムラがあるのでやる気のあるときに
  どんどん褒め言葉をかけてできるように促す。
3.小さな進歩でも必ず褒めることで少しずつステップアップしてゆく。
4.午前中がんばったら、午後は自由にさせるというような
"ごほうび"を用意する。
5.できているお友達の様子を見せたり、去年発表している
  自分の姿をビデオで見せ、発表会への見通しを持たせる。


もうひとつ大切なこと。

6.どうしてもできないことは「しなくていいよ」と伝えて安心させる余裕を持つ。

先生の丁寧な観察とhikariとのやり取りを通して、彼にとって負担にならないペースがどれほどのものなのか考えながら練習は続きました。
年中くらいまではあまり何も考えず言われるとおり練習し発表もしていたのですが、やはりこの年長の時期になって、彼の本来の特性が集団生活のルールと合わなくなってくる場面が目立つようになってきました。

このままでは就学後に困るのは目に見えていました。

hikariにとっては辛かったかもしれませんが、この時期のがんばりは…『難しいことをがんばる。いやなことを我慢する』ことを通して達成感や充実感を味わった経験は
その後の彼の集団生活への適応にきっと役に立っていると思います。


...read more
スポンサーサイト

2007-03-30(Fri) 18:12| 生育暦 -保育園・年長組-| トラックバック 0| コメント 10

公文

hikariは公文へ年長の夏…6歳になる少し前から行っていました。

公文へ通うことにした目的は決してお勉強ではありませんでした。
その1年ほど前に高機能自閉症という診断を受け、検査をしたり療育に通ったりして少しずつ就学に向けての準備をしてきた中で、
"普通に"授業を受けられる可能性がどれほどなのかを知りたかった、という挑戦だったのです。

「一定の時間、いすに座って勉強(興味の対象以外のこと)に集中できるか」
「母以外のそれも決してhikariのことを理解しているとは言えない大人(保育園の先生ではなく公文の先生)の話が聞けるのか」…

そう、全くの挑戦だったのです
ん。よくがんばったね♪


でも振り返ってみれば…もう6年になろうとしています。
当初のいろいろな不安をよそに、(これはほんとうになぜ?というくらい驚きましたが)通い始めてからほとんど躓くことはありませんでした。
課題に向かわずうろうろと立ち歩くこともなく、先生の話も(1対1の指導が主であるからでしょうか?)すっと耳に入っていたようで、
ふと気づくともうすっかり月曜日と木曜日は公文、という習慣が身についていました。

そう…苦しみだしたのは4年生に入るころからでしょうか?
学校の勉強も難しくなり、時間割も変わって下校が遅くなり、苦手な"自主勉強"という漠然とした課題が出てきたり、
家に帰ってきてからの時間のやりくりに苦労するようになって来ました。
公文の内容も学年以上のものになるとやはり難しく、
新しい単元に入ると1時間たっても公文から帰ってこないこともざらで、学校から帰ってすぐに行っても遅いときには7時前に帰宅していました。

中学2年の内容をやってます☆
もういいかな、そう思うようになりました。

何度もhikariと話し合って「いやだからやめる」ということのないよう、納得して終わることにしました。
公文の先生には心から感謝しています。
たぶんhiakriが高機能自閉症であることを伝えたのは1度きりだったと思います。
その診断名にこだわることなく、目の前のhikariの姿に対応してきてくださったからだと
ほんとうに長い間ありがとうございました。


...read more

2007-03-26(Mon) 09:30| 就学までの1年間| トラックバック 0| コメント 6

理解者のもとで…

先日の佐々木先生の講演会の記事はこれで最後になります。
一連の記事はカテゴリー『講演会』にあります。

佐々木正美先生が何度も繰り返しおっしゃっていたこと。
『正しい理解のないところにほんとうの支援はない』
発達障害を持つ人には非凡な能力を持った人が多いといわれます。
また、非凡とまでは言わなくとも、とても優秀な能力を持っている人が多いのです。
でも、正しくその人を理解している人に出会わなければ、その能力は決して発揮されることはありません。
すぐれた能力を発揮するためには、理解ある支援者の存在がとても大切なのです。

発達障害は発達が遅れているのではなく、発達が偏っている(不均衡)障害です。
その劣った能力にとらわれすぎて、それを無理に修正しようとしてはいけません。
むしろ、その子の得意とするところ、優れているところをうまく見抜いてあげる(正しく理解する)、そしてそれをうまく伸ばしてあげる…
発達障害の"治療"は、"持ち味を伸ばす"ことであって、決して能力を平らにすることではないのです。

理解者に寄り添われ、温かいまなざしで見守り続けること…
それは、発達障害を持つ子の子育てだけでなく、どんな子育てにも共通するものですよね。
佐々木先生の講演は、そんな愛情あふれる『子どもへのまなざし』が大きなテーマであるように思いました。



...read more

2007-03-18(Sun) 23:31| 講演会| トラックバック 0| コメント 12

先生との連絡ノート

担任の先生との学期ごとの懇談はとても緊張します。

普通の雑談は特に苦手でもないのですが、hiakriの事となると内側からぶわ~~っといろんな感情が湧き出して、一方的なおしゃべりになったり、感情的になったり…
ようやく慣れてきましたが、低学年のころはお伝えしたいことがありすぎて、言葉よりも感情がわきあがって…
ハンカチは手放せませんでした

先日の懇談は、文章にまとめて、プリントしてもって行きました。
その効果もあってか、いつもより伝えたいことを手短に話せたかな~とすっきりです

そしてその日帰ってから、毎日の連絡ノートに懇談に時間をいただいたお礼と、知識も大切だけど、『目の前にいる子の姿』を大切に考えていただいていることへの私の感謝の想いと、そして、
『残り少ないですが…』と締めくくりの言葉を書きました。

そのお返事。
その私の書いた文書をそのとき職員室にいらっしゃった皆さんで見ながら、懇談の内容を話してくださったそうです。
そして、私の書いた『残り少ないですが』のところに鉛筆でくるっとマークがしてあって
『5年生はあと少しですが、担任が変わったとしてもさまざまな形でhikariさんと関わらせていただくつもりでいます。』
と書いてあるのです

その言葉がとてもうれしかったのはもちろん、今まで…5年生まで緊張しながら、時には強がって大きくかまえながら、hikariの喜怒哀楽に一喜一憂しながら歩んできた道のりをふと振り返って、
「ああ~やっとここまできたなあ」
って、胸が熱くなりました。

担任の先生だけに理解してもらうのではない、どの先生にも、校長先生にもhikariのことを知っていてほしかった。
私の思い描いていたhikariの学校での支援の姿が今やっと具体的に見えてきたように感じたのです。

理解のがやがてとなりとなってその子を包み込むことができたら…
佐々木先生の言葉が浮かびました。

最終学年、どんなクラスになろうとも、どの先生にお願いすることになろうとも、私は胸を張ってhikariと元気に楽しく過ごしていける気がします。

そうありたい、です。





2007-03-17(Sat) 23:23| 理解と支援のために| トラックバック 0| コメント 3

うれしかった。。

今日は学期末恒例の担任との懇談に行ってきました。

担任との連絡帳で日々のhikariのクラスでの出来事は聞いていましたが、直接お聞きすることでまた感動してしまいました。

体育で今サッカーをやっているそうです。
hikariは球技が苦手です。
当たると痛いし、技術的なことも不器用だし、失敗するのがいやだから…もっといろんな理由があると思います
それに、体育自体、全般的に苦手です。

でも…授業を嫌がることは不思議とないのです。
この前のバスケもそうでした。
苦手に違いない。
つまんないだろうに。
でも、「たのしかった」と言います。
どうして??

そう、それでサッカー…チームのみんなで作戦を立てて、hikariに何とかシュートさせようとするのです。
何とかサッカーの楽しさを(シュートできると楽しく感じる、と考えますよね)hikariにあじあわせてあげようと、作戦を立ててくれるのです。

hikariは「ゴールの前に立ってろ。」と言われます。
そしてみんながパスをつないで言われたとおりにぼお~っと立っている(笑)
hiakriにパスをまわすのです。
なのに…空振りしたり、気づかなくてボールが転々としたり…
なのに、みんな怒ったりしないのでしょうね。
「ああ~あ~」と言いながらもまた同じ作戦でパスをつないで…
サッカーの授業があるたび、その作戦は実施され(笑)
でもうまくシュートは決まらず…

とうとう今日が最後のサッカーの授業だったそうです。
(明日は雨かもしれないので)
なんと…同じ作戦で…なんと…
まあ、シュートした、と言うより、「当たった」と本人も行ってたそうですが(笑)
とにかくみんなが「hikariがシュートした!」と認めてくれたから…
シュートが決まったそうです

そんなクラスにhikariがいることがとてもうれしい。
そんな学年であることがとてもうれしい。
よかったね、みんなにわかってもらえて。
hikariってこんな子なんだ、ってみんなにわかってもらえてるんだな、って
お母さんは感動してしまいました




...read more

2007-03-15(Thu) 23:30| machiのつぶやき| トラックバック 0| コメント 10

外からは見えないもの

もうひとつのブログのほうで『それぞれの家庭の中で』という記事を書きました。
もしよろしければそちらも読んでいただければと思います。
その思いを持って、こちらにも記事を書こうと思います。

特に深い意味も、悪意もなくの言葉なのだと思います。
hikariが発達障害と診断を受け、それを受け入れようと必死だったころ、
仲のよいお母さん友達にhikariのことを相談したり、診断名を話したりしていました。
病院で診察を受けていること、保育園の先生や発達相談員さんとのやり取り、hikariの一見気まぐれであたりわがままのように見える行動にはさまざまな裏づけとなる思考が働いていること…

「たいへんやなあ」「ようがんばってるなあ」「私には無理やわ」…
そっか、そういうふうにとられるんやな…
でも自分は何を言いたくてそんな話をしていたんだろう。
「えらいね」「すごいよ」そう言ってほしかった?
そうかもしれません。
そういう言葉に元気づけられていた時期でもあったから。

でも…「私には無理やわ」その言葉だけはぽんと突き放されたような、
境界線を一本引かれたようなそんな気持ちになりました。

今、もうそんな話をくどくどと友人に話すことはなくなったのですが、
最近…と言うかmomoの同級生関係に発達障害では?と思える子どもが何人かいることに、余計なお世話ですがとても心配でしょうがないのです。

その中には診断も受けて療育や投薬を受けている方もいらっしゃるそうです。
でも…一番近くにいて今見ている子のお母さんは…
以前にも違う人でそういうことがあったのですが、hikariが発達障害で私がそれを受け入れ保育園と協力して連携をとろうとするいわゆる"よい保護者"であることを知っていて、あえてその話題を避けて付き合われたことがありました。

発達障害は、幼児期からの療育、関わり、環境を整えていくこと、そして何よりも親が障害について理解し受け入れることが大切な障害です。
そして、中でも軽度発達障害といわれる高機能自閉症アスペルガー症候群については、家庭で特に困ることもなく、ちょっと変わった子、個性的な愛嬌のある子、というふうに見えたりもします。
(これは個人により差があるので一概には言えないことですが。)
「そのうちできるようになるさ」「個性なんだよ、これからは個性の時代」「特に何も家では困ってないからだいじょうぶさ」「学校に行けばまたいろんなこと覚えるよ」…

でも…集団の中での姿というのは家庭でのそれとはまた違ったものです。
周りの子どもとの社会性、コミュニケーションの質的な違いというのは
家庭ではほんとうにわかりにくいものです。

みんなと一緒のことができない…みんなが着ているスモックを着たがらない、いっしょのお部屋で同じ活動ができない、突然部屋を出て行って違うクラスへ平気で入って行く…
そのお友達のお母さんは子どもが保育園のスモックを着たがらないことを「ダサいから」「○○(子どもの名前)の趣味に合わないから」といわれます。

理解ある頭のよい両親、穏やかな家庭、昔からの看板もあり安定した商売、そして発達障害だというhikariくんだって、よく勉強ができて、まじめで、運動会だって発表会だって参観日だって、みんなといっしょにちゃんと集団生活ができてるやん。
momoちゃんも頭がよくて、ピアノ習ってて、クラスでもリーダー的で…
そんな恵まれた幸せな、何もかもうまくいってるあなたに何も話なんか聞きたくないよ。
…そんな声が聞こえてきそうです。

hikariは人一倍努力していますよ。
彼の尺度では理解の難しいこの世界で生きてゆくために、
今まで辛いこともたくさんあったし、訓練もしたし、
彼の辞書にたくさんの新しい項目を書き加えてきて今の彼の姿があるのです。
(そして現在進行形で、辞書には新しい項目が増えていっているはずです。苦しみ、困難さは一生続くのです。)
家族であるpapaも私も、義父母もみんな、それぞれに複雑な思いを持ちながらも彼の障害を受け入れ、理解しようとし、日々を暮らしてきました。

「あなたはすごいね。私には無理よ。」
って言わないで…

漠然とした不安をそれに勝る愛情でかき消していたころ、
少し離れたところから声をかけてくれた先生がいました。

「変わるよ。子どもは。
 かかわり方で必ず変わる。」


私もそんな声をかけられる人になりたいです。


2007-03-14(Wed) 12:18| machiのつぶやき| トラックバック 0| コメント 4

喜びを分かち合う心

佐々木正美先生の講演会でのお話です。

これはどんな子の子育てにも共通する考えだと思います。

『喜びを分かち合う心がなければ苦しみも悲しみも分かち合う心は育たない』

発達障害があろうとなかろうと、子どもと関わるとき、子どもが喜ぶことを自分自身が"喜んで"してあげる。
子どもは、自分に喜びを与えてくれる人がそばにいて、その人が自分を喜ばせること、それを喜んでいる姿を見たい。
親(あるいは支援するもの)は、喜ぶ姿を子どもに見せることで、「ああ、自分は大切にされているんだ。」「私が喜ぶとお母さん(先生)も幸せそうにしている」「同じことで喜び合える」そんな心を育てるのですね。
そこから生まれてくるのが自尊心であり、自己肯定感であるのです。

自分を大切に思う気持ち。
自分が愛されているという実感。
同じことで喜び合える人がそばにいる安心感と幸せ。
それがコミュニケーションの原点であるというお話でした。

喜びを分かち合う心
があって、初めて悲しみや苦しみを分かち合う心も育ちます。

今問題になっているいじめについても、相手の悲しみや苦しみを分かち合う心が欠如しているために起こるのだと佐々木先生はおっしゃいます。
育ちの中でのコミュニケーションの問題があれこれ指摘されていますが、これはコミュニケーションに問題のある発達障害を持つ子どもの子育てだけではなく、ごく普通の子育てにも言えることなのではないでしょうか。

佐々木先生は何度も
「どうぞ、子どもといっしょに喜び合い、そして悲しみや苦しみも分かち合ってください。
 子どもに、『あなたが喜んでくれてお母さんは幸せよ』という姿をたくさん見せてあげてください」

ということを強調しておられました。

ふと、毎日の自分の姿を振り返ってしまいました。



2007-03-11(Sun) 16:09| 講演会| トラックバック 0| コメント 6

紐靴

hikariの足のサイズはとうとう私と同じになりました。
もうこれくらいになると、子供用のマジックテープで止めるようなタイプのものが少なくなってきます。
紐靴…指先が不器用なhikariにスムーズに脱いだりはいたりできるんだろうか??
何事も練習。




お正月、お年玉代わりに買ってやりました。
(ありがた迷惑?
初めての紐靴。

ずっとほってあったのに、急に先週から履きだしました。
不便とも、くくれないとも言いません

こんな記事を書いたこともあったのにな…

"たまむすび"

やればできるもんです



2007-03-10(Sat) 11:33| hikariの日常| トラックバック 0| コメント 0

引っ越しました♪

もうひとつのmachiの"しあわせ"ブログ、お引越しをしました
どうぞお気軽に遊びに来てくださいね。

"しあわせの小瓶"


2007-03-10(Sat) 07:31| machiのつぶやき| トラックバック 0| コメント 0

コミュニケーションと言葉

佐々木正美先生の講演会からです。

『言葉の出ない子どもにどうやって言葉を教えるか?』
という話題が出ました。

自閉症だけではなくさまざまな障害で言葉についての悩みは誰もが経験しているのではないかと思います。
知的な遅れのないhikariのような高機能自閉症児であっても言葉についての悩みはいまだについて回ります。

いつだったか、うまく言葉を使いこなせないhikariに言葉を教えようとしていた時期がありました。
間違った言い方を訂正し、「正しくはどう言うの?」と強く詰め寄ったりもしました。
hikariは私の強い語調やこわばった顔を怖がり、いくら教えても正しい言い回しや使い方は身につかなかったように思います。
でも、それは繰り返し私とpapaによってなされました。

当時発達相談の折にも相談したように思います。
先生は「無理に教える必要はない」
とおっしゃっていましたが、その本当の意味はわかっていなかったように思います。

そして昨日の佐々木先生のお話。

言葉の出ない子、またはうまく使えない子どもに一生懸命言葉を教えたとする。
しかし、高機能自閉症やアスペルガーの人でさえ、大人になっても言葉をうまく使いこなすことに困難を感じている。
コミュニケーションとは何か?
コミュニケーションの手段として言葉というものがそんなに必要であるのか?
誰かに何かを伝えたいという気持ちを満たすためのコミュニケーション。
何かを伝えたい…伝わる喜び…わかってもらえる喜び…
コミュニケーションが楽しい。喜びである。
そんな気持ちになることが大切なのです。
それをコミュニケーションマインド、というそうです。

伝え合うということ、その手段は決して言葉だけではないはず。
文字でも、絵カードでも、指差しでもいいのです。
気持ちを伝えたいという心、伝わったときにいっしょに喜び合う心…
それがコミュニケーションの原点なのです。



2007-03-09(Fri) 16:28| 講演会| トラックバック 0| コメント 2

理解のある支援

今日、久しぶりに講演会というものに行ってきました。
川崎医療福祉大学特任教授の佐々木正美氏の『発達障害をもつ子どもの子育てで大切にしたいこと』という内容のものでした。
お話の中で印象に残ったことを何回かに分けて書いていきたいと思います。

佐々木先生は想像通りの(写真で拝見したことはありますが)めがねの奥の優しい目と穏やかな語り口調のとても素敵な先生でした。

まず最初に強調なさったこと。
発達障害を持つ子どもに対して彼らのことを何も理解しないで支援しようとすることは、なにもしないよりもしてはいけないことである』

アスペルガー症候群高機能自閉症のように知的な水準の高い人は大人になるころには比較的自由に言葉をあやつれるようになり、自分たちの気持ちを言葉にして訴えることができるようになります。
そんな社会に適応しているように見えている人たちでも、就労先で挫折する人も多く、そんな彼らが共通して言う言葉があるそうです。

何が一番辛いか?という問いに口をそろえて
『私たちのことを理解してくれない』
『支援よりも理解してほしい』
『理解できないならそばに来ないでほしい』
と言うそうです。

『理解できないならそばに来るな』
とてもショックな言葉ですね。
如何に彼らが理解されてこなかったか…

そう、彼らにとって"理解"を欠いた支援というのは無意味であり、迷惑なことなのです。

よく言う『家庭と学校と医療との連携』
この連携というのは、彼らの理解の上に成り立つ連携である、ということになります。

『理解してあげること』
発達障害の、自閉症の人の側から世界を見ようとする努力というのが、正しい支援のスタートなのですね。


2007-03-08(Thu) 22:22| 講演会| トラックバック 0| コメント 4

あらすじをかく

高機能自閉症のhiakriにとって"物語のあらすじを書く"ということはとても困難な学習ではないかと思います。

ひとつの(そんなに長くない)物語を読んで、全体の話の流れを汲み取り、それを自分の言葉で表現する…
そういう私だって、それほどに読み込んでいない文章のあらすじを書こうと思うと、本文の文言一つ一つに縛られて、なかなか全体が見えてこなくて苦労した思い出があります。

今日の宿題は(日付が変わってしまいそうですが)ある短い物語を読んで、そのあらすじを"起承転結"に項目わけしてまとめる、というものでした。
もう半べそで、泣きついてくるhikari
結局やっとのこと仕上げられたのはもう10時近くでした。
感激のあまりまた泣き出すhikari
完璧にしなくていいと思うんだけどな~
きっと、『できるところまで』っていう宿題だと思うんだけど…

まあ、何とか納得して寝てくれたけど…
さっきからなんだかモゴモゴと寝言言ってます
うなされてるのかな


2007-03-06(Tue) 00:10| hikariの日常| トラックバック 0| コメント 4

FC2カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。